「Duvet」の和訳&考察をしてみました。他の人の和訳との比較もしています。思ったより好評な和訳&考察で、Twitter等でもよく話題にしてもらっています。タロウ(滝本啓人さん)もいいねしてくれました。
ちなみに歌詞カードの和訳は、他の和訳と比べてもあまり良い訳だと思いません。
動画も作りました。
Duvet 和訳
And you don’t seem to understand
理解していないようね
A shame you seemed an honest man
あなたは自分に正直な人のように思えたのにとても残念
And all the fears you hold so dear
あなたが大切に抱いているその恐れすべては
Will turn to whisper in your ear
あなたの耳元へのささやきにかわるでしょう
And you know what they say might hurt you
そして、あなたはそのささやきがあなたを傷つける事を知っているし
And you know that it means so much
それが重要なことを意味していることを知っている
And you don’t even feel a thing
それなのに、あなたは何一つも感じない
I am falling, I am fading
私は落ちていく 私は消えていく
I have lost it all
私はそのすべてを失ってしまった
And you don’t seem the lying kind
嘘の優しさではないようね
A shame that I can read your mind
私があなたの心を読めることは残念な事
And all the things that I read there
私がそこに読むことができるのは
Candle lit smile that we both share
キャンドルが灯る中でほほ笑みを分かち合う、という(陳腐な)もの
And you know I don’t mean to hurt you
私があなたを傷つけるつもりはない事、
But you know that it means so much
でもそれが重要なことを意味している事を、あなたは知っている
And you don’t even feel a thing
それなのに、あなたは何ひとつも感じない
I am falling, I am fading, I am drowning
私は落ちていく 私は消えていく 溺れてしまう
Help me to breathe
息ができない助けて
I am hurting, I have lost it all
私は傷ついていく 私はすべて失ってしまった
I am losing
私は損なわれていく
Help me to breathe
息ができない助けて
曲の解釈、考察
自分がイメージしたこの曲のイメージは、自閉して、「他者」を持たないような男をパートナーとして持つ女の苦しみ、嘆き。
この男は、キャンドルが灯る中でほほ笑みを分かち合う(Candle lit smile that we both share)というような、ありきたりのイメージで二人の関係をつくっていきたいと思っているようだが、それは勝手な独り善(よ)がりなイメージで、
目の前にいるこの女という「他者」はそこから疎外されているように思う。その女自身を全く感じていない(And you don’t even feel a thing)。
男は、現状の自分やナルシシズムを守ろうとしていて、恐れを感じている(And all the fears you hold so dear)。
未知で理不尽で不可解だが、受け入れるべき「他者」の存在を予感している。(And you know what they say might hurt you And you know that it means so much)。
でも男は自分に正直でなく(A shame you seemed an honest man)、それらをその女とともにシャットアウトし、結果的に女は傷ついて、窒息している。
他の和訳との比較
自分の訳は、他の人の和訳と大きくは違わないが、いくつかの点について違いがある。長くなるのですべてはできないが、それらについていくらか説明をしてみる。
今後和訳する人や英文に興味のある人、に向けて書きたい。そうでない人は、少し難しいかもしれない。
些細なものから始めるが、まず、「an honest man」を他の人の和訳では、「誠実な人」とか「正直な人」としている。自分の訳では、「自分に正直な人」とした。
自分の曲全体の解釈に合わせるために「自分に正直な人」とした。ここはあまり、他の人の訳とかけ離れていないだろう。
2つ目は、2番の「And you don’t seem the lying kind」が、他の人の訳では、「嘘をつくような人には見えない」とか「嘘をつくタイプには思えない」などとなっている。kind を名詞の「タイプ」とか「種類」の意味にしたのだと思う。
別の訳に「嘘の優しさには思えない」や「上辺だけの優しさなのね」という訳もあった。kind を「優しさ」という訳にしている。自分も「嘘の優しさではないようね」とこっちの立場で訳している。
でも「優しさ」というなら、 the という定冠詞がついているし、名詞の kindness にするべきではないか?
the がついていて、kind となっているなら「タイプ」とか「種類」の方が正しいのではないか? そうも考えて修正しようとしたがやめた。
やめた理由は、「the lying kind」という題のコメディドラマがあるのだが、その脚本を読んでみると、明らかに、この kind が「タイプ、種類」でなく「優しさ」の意味で使われている。
歌詞や宣伝のキャッチコピーなどでは、わざと文法的に間違った表現を使って、効果的な表現にすることがあるらしい。
「Duvet」でもそのコメディドラマと同じようにしているということは大いに考えられる。
kindness と言わず kind といった方が語呂がいいし、kind にすれば、1番の1文目のunderstand と語尾が同じ nd になって、韻(いん)を踏める。
なので、 kind を「優しさ」とする立場に従う。その方が、自分の解釈とも整合性が持てる。
2021年7月8日追記:the lying kind について、コメントで指摘がありました。the をkind(優しい) という形容詞につけていいのか疑問でしたが、the をつけて形容詞 kind を抽象名詞化しているのだそうです。このkind は、「優しさ」で正しいそうです。ご指摘ありがとうございました。
3つ目に、「And all the things that I read there」「Candle lit smile that we both share」という文をみてみる。
この文は、他の人の訳では、分割しているものが多かったが、自分は、この2つの文はつながっていると考えた。
曲の1番でも、3つ目の文と4つ目の文が、明らかにつながっている。2番でも、3つ目の文と4つ目の文がつながっているという事は、あり得るだろう。
この2つを文と言ってしまったが、両方とも名詞句になっているだけで、それだけでは文になっていない。(それぞれ things と smile を中心にした名詞句になっているだけ。) 完全な文にした場合は、この二つの名詞句の間にbe動詞areが入ると思われる。
ここも there と share で韻(いん)を踏むために、比較的軽い動詞であるbe動詞の are が省略されていると考えた。
つまり、もし完全な文にした場合は「And all the things that I read there are candle lit smile that we both share」 となる。
たとえ、are を入れないとしても、この2つの名詞句はイコールの関係になっていると思われる。
だから、訳すときは、2つの文をつなげて、「私がそこに(あなたの心の中に)読むことができる全てのものは、私たちによって互いに共有された、キャンドルが灯る中における、微笑み」と直訳できる。
これを意訳して「私がそこに読むことができるのは、キャンドルが灯る中で微笑みを分かち合う(イメージ)」とした。
「Candle lit smile that we both share」という文の意味内容については、ネイティブスピーカーの人にとっても難解で、なぜこの文がここにあるのか唐突に思われるらしい。
あるネイティブに「Candle lit smile that we both share」の意味を聞いた人がいて、それによると、「男女が互いに微笑み合いながら、暗いレストランで、キャンドルが灯ったテーブルに座っている。その会食や時間を楽しんでいる」という情景が心に浮かぶらしい。
どこかの画像検索でも、この語で検索して、そのような画像が出てきたかと思った。
英語圏の人が幸せのイメージを思い浮かべた時、このイメージはよくあるものになっているのではないか。
歌詩の中で、男が心に持っているそのようなイメージに対して、女がありきたり過ぎて陳腐(ちんぷ)だと、皮肉的に言っているような感じに自分には聞こえた。
「Candle lit smile that we both share」と、smile という名詞に対して、やたらたくさんの形容詞が向けられていて、皮肉っぽく聞こえた。
そこで、ちょっと解釈を入れ過ぎたかもしれないが、文尾に「という陳腐なもの」という原文にはない和訳を入れた。わかりやすくなると思って入れた。
4つ目に、「I am losing」を他の人の訳では、「私の負け」とか「私は失っていく」とか「私を失っていく」という訳になっている。
ここは、他のある和訳者が、ネイティブスピーカーに聞いたところこう言っていたらしい。
「I am losing」と言って、私(I)が何を失っていく(lose していく)かというと、自分自身(myself) を失っていくと考えるのが、この詩の文脈に限れば、自然でロジカルな解釈、ということらしい。
このネイティブの言っている事によると、少なくとも、「負け」という訳は違うのではないか。自分は「私が私自身を失っていく」つまり「私は損なわれていく」とした。
辞書で lose を調べてみると「価値が減じる」とか「美点を失う」という意味もある。はっきりした、ぎこちない表現で言うと「I am losing」は「私の価値、美点が減じていく」とも言えて、そのような意味も、あるいは含まれていると自分は解釈した。
もちろん、lose には、「損なう」という意味もあって、辞書にもそう載っている。
他訳との違いまとめ
「an honest man」は、「誠実な人」や「正直な人」をとらず「自分に正直な人」とした。
「And you don’t seem the lying kind」の「kind」は、「タイプ、種類」でなく、「優しさ」とした。
「And all the things that I read there」「Candle lit smile that we both share」は、分割せず、つながっているものと考えた。
「Candle lit smile that we both share」は、皮肉的に聞こえたので、文尾に「という陳腐(ちんぷ)なもの」という語を入れ、わかりやすいようにした。
「I am losing」は「私の負け」ではなく、「私は損なわれていく」とした。